「お前ばっかり一人で幸せになってるんじゃないよ」
「お前ばっかり一人で幸せになってるんじゃないよ」
何年も母にそう言われてきたし、今日も言われてしまった。
確かに私の母は不幸な人生を送っていて、それは今も進んでいる
私は裕福で、医学部に通わせてもらっていて、心の底から友人だと言える人もいるし、父には愛されていて、確かにとても今幸せなので、謝ることしかできなかった。
母を置いて幸せになり申し訳ないと思った時期もあったが、贖罪の仕方がわからなかった。そう思う時期は生きていること自体が罪なような気がして、ひたすら音も立てず、葬式もなく、誰にも迷惑を掛けずに消える方法を探していた。
精神的にも肉体的にも暴力を受けていた時は世界で自分が一番不幸だと思っていたが、世の中には不幸が溢れていて、そしてそれが身近であると知った時に、私はありきたりで、かつ軽症なケースだと悟った。
小学生の頃に、カウンセラーに親に竹刀で殴られると相談した時、でもあなたは一番不幸なわけじゃないと言われ憤りを感じたが、全くその通りに思う。
不条理に当たられたり、不可解な暴力はわりとありふれたことで、皆それにいろいろな術をもって耐え、やり過ごしていることに気づけたのは、すごく幸運なことで、自分の不幸に酔ってしまわなくて済んだ。
はて、どうすれば母を捨てずに自分のしたいことを自由にできるのだろう。
こんなにされても母を捨てられないのは、母を哀れんでいるからなのか。
今以上に私が幸せになってしまったら、母はもう私を愛してくれないのか。
母のなれなかった医者に私がなってしまったら、もはや私は憎しみの対象でしかなくなってしまいそうで少し辛い。
みんな幸せになればいいのに。